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東京地方裁判所 平成6年(ワ)12360号 判決

原告

甲野太郎

乙山夏子

丙川秋子

甲野次郎

右原告四名訴訟代理人弁護士

吉川孝三郎

吉川壽純

野村憲弘

被告

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

竹村彰

外八名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野太郎に対し二五三〇万円、同乙山夏子、同丙川秋子及び同甲野次郎に対しそれぞれ八二五万円並びにこれらに対する平成四年一〇月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、亡甲野花子(以下「花子」という。)が、被告の運営する筑波大学附属病院(以下「被告病院」という。)において子宮癌の治療のため抗癌剤の投与等を受け、その後血小板減少症により死亡したことについて、花子の遺族である原告らが、被告に治療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく責任があるとして損害賠償請求をしている事案である。

二  当事者間に争いのない事実

1  花子(大正九年八月三一日生)は、平成四年六月ころ、僅かな出血があり、茨城県土浦市内の産婦人科医から被告病院を紹介された。花子は、同月一五日被告病院で初診を受け、子宮癌と診断された。

2  花子は、平成四年七月七日被告病院に入院し、同月二一日に手術を受けた。手術後、被告病院は花子に対し、抗癌剤アクチノマイシンD及びシスプラチンを使用する化学療法を施した。右抗癌剤治療は、連続約五日間を要する治療を一か月に一回の割合で合計五回行う予定であった。

3  被告病院は、同年八月二〇日第一回目の抗癌剤治療を開始し、同月二四日終了した(以下、右第一回目の抗癌剤投与期間を「第一クール」といい、第二回目のそれを「第二クール」という。)。続いて被告病院は、同年九月一六日第二回目の抗癌剤治療を開始し、シスプラチンは第一クールと同量を五日間、アクチノマイシンDは一日当たりの投与量を半減して一〇日間それぞれ投与し、同月二五日終了した。

4  花子は、同年九月二八日個室に移され、寒さを感じるとして電気毛布を掛けていたが、その血小板の値は正常人の一〇分の一まで下がっていた。被告病院は、花子に対し同日夜四〇〇ccの生血輸血を行った。

5  花子は、同年一〇月一日被告病院において満七二歳で死亡した。花子の死因は出血性ショックであり、その原因は、化学療法後の血小板減少症であった。

6  原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は花子の夫であり、原告乙山夏子、同丙川秋子及び同甲野次郎(以下「原告次郎」という。)は花子の子であって、花子の相続人は右四名である。

三  争点に対する原告らの主張

1  被告の過失

(一) 被告病院は、花子に対し抗癌剤アクチノマイシンDを投与すべきでなかったのに、投与した過失がある。

(1) 花子の癌は、明細胞癌ではなく腺癌であり、少なくとも、腺癌と明細胞癌の境界領域にあったものであるから、治療方法としてはまずホルモン療法を考えるべきであり、第二次的に化学療法を考えるとしても、副作用等の弱い抗癌剤であるシスプラチン、ドキソルビシン等が投与されるべきであり、アクチノマイシンDを投与すべき合理的根拠はなかった。

(2) アクチノマイシンDは、平成四年当時、臨床医では子宮内膜癌に対する抗癌剤として有効性が認められておらず、全くの研究、実験段階にあった。そして、被告病院においては、その副作用である白血球及び血小板の減少が生死にかかわるほど危険なものであることを認識予見していた。したがって、被告病院としては、第一クールの段階からアクチノマイシンDを投与すべきでなかった。

(3) 少なくとも、第二クールにおいては、すでに、第一クールにおいて現実に骨髄抑制作用という重大な副作用が発現していたのであるから、被告病院としては、さらに重大な副作用が発現することを予見し、実験段階であるアクチノマイシンDを投与すべきでなかったし、たとえ投与するとしても、その総量を減量すべきであったにもかかわらず、第一クールと総量において同量を投与した過失がある。

(二) 被告病院は、第二クール後、骨髄抑制作用発生に対し血小板輸血等の処置をとらなかった過失がある。

被告病院は、第二クールにおいて重篤な副作用が生じることを予見し、抗癌剤投与後、血液検査等を行って十分に経過観察をし、骨髄抑制作用が発現したら直ちに血小板輸血等の処置を行うべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠った過失がある。特に、平成四年九月二八日(以下、平成四年の場合は月日のみを示す。)には、被告病院は、花子に血小板及び白血球の減少が起こっていることを把握したのであるから、直ちに血小板輸血を行うとともに、電解質バランスの補正、低栄養状態の改善のための中心静脈栄養補給等を行うべきであったにもかかわらず、これらを行なわなかった。

(三) 被告病院は、アクチノマイシンDの投与等について、説明義務を怠った過失がある。

(1) 被告病院が行ったアクチノマイシンDの投与は、当時子宮内膜癌の化学療法としては明細胞癌の場合も含めて全く行われておらず、被告病院の独自の見解に基づくものである。しかも、アクチノマイシンDには前述のとおり重大な副作用がある。したがって、被告病院は、第一クール前の段階において、アクチノマイシンDによる化学療法が一般的なものでなく実験的なものであること、アクチノマイシンDには白血球減少、血小板減少という生死にかかわる副作用が発生すること及び他の治療法として、ホルモン療法や、シスプラチン、ドキソルビシン等の投与によるものがあることなどの説明をすべきであったのに、これを怠った過失がある。

(2) また被告病院は、第二クール前の段階においても、アクチノマイシンD投与による副作用発現の可能性、薬剤の有効性について全く説明をしていない。

2  損害

(一) 花子固有の損害

(1) 逸失利益一一一一万五六二二円

花子は、当時七二歳の女子で、その就労可能年数は六年であるから、賃金センサス平成四年第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の全年令平均賃金額年間三〇九万三〇〇〇円を基礎に、新ホフマン係数を5.134、生活費を収入の三〇パーセントとして花子の逸失利益を算出すると、一一一一万五六二二円となる。

(2) 慰藉料 二五〇〇万円

花子は、抗癌剤の副作用に苦しみ続けて死亡したものであり、慰藉料としては少なくとも二五〇〇万円が相当である。

(3) 花子の死亡により、右(1)、(2)の損害賠償請求権について、原告太郎がその二分の一である一八〇五万七八一一円、その余の原告らが各六分の一である六〇一万九二七〇円をそれぞれ相続により取得した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰藉料

原告らは、花子の夫又は子として、花子の死亡等により大きな衝撃を受けた。これを慰藉するには、少なくとも原告太郎につき五〇〇万円、その余の原告らにつきそれぞれ一五〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用

被告は任意に本件損害賠償債務を履行しないので、原告らは原告ら訴訟代理人に本件訴訟手続を委任した。その費用は、原告太郎につき二三〇万円、その余の原告らにつきそれぞれ七五万円が相当である。

四  争点に対する被告の主張

1  被告の過失

(一) アクチノマイシンD投与について

(1) 花子の癌は、腺癌(内膜型腺癌)ではなく、明細胞癌であった。そして、明細胞癌の手術後の療法には標準的な治療法が確立されていなかったため、主治医らは、アクチノマイシンDが明細胞癌に対して有効であるとの抗癌剤感受性検査の結果に基づいて、アクチノマイシンDとシスプラチンの併用投与という化学療法を選択したものである。したがって、被告病院が花子に対してアクチノマイシンDを投与したことには何らの過失もない。

(2) 第一クールにおいて、花子の血小板、白血球の数値は、最低値から一週間以内に正常に復していたので、主治医らは、骨髄機能が十分に余力を有していると判断し、アクチノマイシンDを第二クールでも投与したが、副作用の軽減を図るため一日当たりの投与量を半分に減らした。したがって、その治療方法は適切であり、被告病院に過失はない。

(二) 第二クール後の治療について

(1) 第一クールでの副作用の出現結果から考えると、第二クールでの白血球、血小板数の最低値は九月三〇日ころになると予測され、また、同月二五日の血液検査の所見でも、白血球、血小板はともに正常値であった。これらによれば、花子の白血球、血小板が九月二六、七日の両日に減少することは予見できなかったから、被告病院がこの日に血液検査をしなかったことに過失はない。そして、主治医らは同月二八日血小板輸血と同等の治療効果を有する生血輸血を行っているから、同日に血小板輸血の措置を講じなかったことにも過失はない。

(2) 九月二八日、花子の白血球、血小板の数値が急激に減少したので、主治医らは、この日からGCSF(白血球減少に非常に有効な薬剤。通常の化学療法時の白血球減少に対し、二ないし三日間の投与で白血球の増加をもたらす。)、抗生物質の投与、生血輸血による治療を開始し、翌二九日には血小板輸血も行った。しかし、花子の状態は第一クールと異なり、GCSFの投与によっても白血球が増加せず、血小板輸血によってもその血小板は増加しなかった。このような花子の状態は、血小板輸血不適応状態であったと考えられるが、第二クールを開始する時点では、予測不可能であった。

なお、主治医らは、花子に対し、九月三〇日に血小板輸血を行ったが。これによっても血小板数が増加せず止血効果が発揮されなかったため、花子は、一〇月一日出血により死亡したものである。したがって、九月二六、七日に血液検査を行わなかったことは、直接死亡と結びつくものではない。

(三) 説明義務違反について

(1) 主治医らは、第一クール実施前の平成四年八月一三日、花子並びに原告次郎及びその妻に対し、薬剤の名称までは説明しなかったものの、患者の心情に配慮し、薬剤の効用及び副作用について分かりやすい説明を行っている。したがって、第一クール前の説明について説明義務違反はない。

(2) 主治医らは第一クールの治療中、毎日花子を回診し、本人及び家族に対し、白血球及び血小板が減少していること、副作用によって口内炎ができ、食事がうまくとれないことなどについて、説明を行った。また、第二クールでの治療法は基本的に第一クールと同様であり、かつ、副作用を軽減するために一日当たりのアクチノマイシンDの投与量を半減させることとしたため、第二クール実施に当たって、改めて、本人及び家族に薬剤の効用を説明しなかった。したがって、第二クール実施に当たって説明義務違反はない。

2  損害について

原告ら主張の損害はいずれも知らない。原告らは、健康人である七二歳の女性の平均余命年数約一二年を前提に逸失利益を計算している。しかし花子が罹患していた子宮明細胞癌は予後が悪く、摘出手術後の五年生存率は統計上32.4パーセントであるから、原告ら主張の右計算方法は、不適当である。

第三  当裁判所の判断

一  基本的事実関係

1  証拠(甲四ないし六、八、九、乙二ないし四、八、一三、一五、証人西田正人)及び弁論の全趣旨によれば、子宮癌に関する一般的知見は、次のとおりであることが認められる。

(一) 子宮癌の分類

(1) 子宮癌は、子宮を発生部位とする癌をいうが、その発生部位により、子宮の入り口付近で発生する子宮頸癌と子宮の奥の方に発生する子宮体癌とに区別される。子宮体癌は、子宮内膜から発生するので、子宮内膜癌とも呼ばれる。

(2) 癌は、細胞が変性したものであるが、細胞には扁平上皮細胞と腺細胞とがあるため、扁平上皮細胞の癌化したのは扁平上皮癌とされ、腺細胞の癌化したものは腺癌と呼ばれる。子宮頸癌は約九〇パーセントが扁平上皮癌で、残りが腺癌である。これに対し、子宮体癌は、子宮内膜から発生するので子宮内膜癌とも呼ばれるが、そのほとんどは腺癌であるので、子宮内膜腺癌とも呼ばれる。

(3) 子宮内膜腺癌は、その形態によりさらに細かく分類される。

ア 子宮内膜腺癌のうち、正常の子宮内膜に近い形をとるものは、内膜型腺癌と呼ばれ、その分化度(正常内膜との類似性)によって正常内膜により近い高分化型から、順番に中等度分化型又は低分化型に分けられる。

内膜型腺癌は、出現の頻度が最も高いものであるが、この中でも高分化型の予後は比較的良好である。

イ 子宮内膜腺癌のうち、漿液性(粘液に比べサラサラした液体である漿液を発する腺に関するもの)の卵巣癌に近い形をとるものは漿液性腺癌と呼ばれ、卵巣癌の明細胞癌に近い形を取るものは明細胞癌と呼ばれる。なお、明細胞癌とは、その腫瘍の細胞質にグリコーゲンを多量に含むため、光学顕微鏡で細胞質が明るく抜けたように見えるところから名付けられた癌である。明細胞癌は、子宮体部よりも卵巣における発生率が高いもので、卵巣癌の約五パーセントを占めている。

漿液性腺癌及び明細胞癌は、出現の頻度は低いが、内膜型腺癌に比較して極めて悪性度が高く、予後も不良である。癌研究会附属病院の病理、婦人科の報告によれば、子宮体癌六〇八例のうち、明細胞癌の術後五年生存率は32.4パーセントである。

(二) 子宮体癌の手術進行期

子宮体癌の手術進行期は、国際産婦人科学会が一九八八年に提唱した子宮体癌の手術進行期分類によれば、進行度により次の四期に分類されている。

(1) Ⅰa期(子宮内膜に限局した癌)、Ⅰb期(子宮筋層二分の一以内の浸潤)、Ⅰc期(子宮筋層二分の一を超える浸潤)

(2) Ⅱa期(子宮内勁部腺のみの侵襲)、Ⅱb期(子宮頸部間質浸潤)

(3) Ⅲa期(癌が子宮漿液又は付属器を侵すか、腹腔細胞診が陽性)、Ⅲb期(膣転移)、Ⅲc期(骨盤リンパ節又は傍大動脈リンパ節転移)

(4) Ⅳa期(膀胱又は腸粘膜浸潤)、Ⅳb期(腹腔内又は鼠径リンパ節を含む遠転移)

(三) 治療方法

(1) 子宮体癌がⅠ、Ⅱ期の早期癌である場合は、子宮摘出手術のみで完治し、予後も比較的良好であるとされている。しかし、子宮体癌の予後因子の解析の結果、癌の組織分化度が低分化型(分化度G3)・筋層浸潤二分の一以上、リンパ節転移陽性、臨床進行期Ⅲ期以上、頸部浸潤陽性のいずれかを有するものには、手術後の追加治療が必要であるといわれている。そして、追加治療(後療法)としては、放射線療法、ホルモン療法及び抗癌剤による化学療法がある。

(2) 放射線療法は、従来は広く適用されてきた治療方法であるが、子宮内膜癌に対する効果が不十分であるうえ、あくまでも局所療法であり、病巣が限局している場合には有効であるが、癌細胞が腹腔内に拡散している状態では適応がなく、遠隔部位から再発する確率も高いため、最近ではあまり行われていない。

(3) 子宮内膜型腺癌の中には、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体を持つものがあるが、これらには、黄体ホルモン療法が治療法として有効であるとされている。この場合、高単位の黄体ホルモン製剤(酢酸メドロキシプロゲステロン)が用いられる。しかし、症例が限定されているうえ、適応を誤ると血栓症等の重篤な副作用が発生する場合がある。

(4) 化学療法は、癌の性質によって療法が異なる。卵巣癌に対する化学療法としては、サイクロフォスファマイド、アドリアマイシン及びシスプランチンの三つの薬剤を併用投与するCAP療法が標準的な治療法として行われている。

(5) 子宮に発生する明細胞癌は、卵巣に発生する明細胞癌と同じ性格を有しているので、治療方法も共通のものとして論じられている。しかしながら、卵巣明細胞癌に対しては、ホルモン療法は有効とされておらず、また抗癌剤感受性が極めて低いので、右CAP療法は、有効ではないとされている。そこで近時は、まず治療しようとする癌を決定し、抗癌剤感受性試験により、これに対する有効な抗癌剤を見出し、これを用いるという治療法が研究されるようになり、これが一定の成果をあげている。

2  前記争いのない事実及び証拠(甲一(一部)、四、五、八、九、一九、二三の一ないし四、二四、乙一の一、二、二ないし八、九の一ないし六、一〇、一一の各一ないし四、一二、一五ないし一九、二三、二八ないし三一、証人西田正人、同福島雅典(一部)、同飯嶋達生、原告次郎本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件の診療経過等について次の事実が認められる。

(一) 被告病院で花子の主治医であった西田正人医師(以下「西田医師」という。)は、昭和四七年慶応義塾大学医学部を卒業後同年医師国家試験に合格し、昭和五四年筑波大学臨床医学系講師となった。西田医師は、婦人科悪性腫瘍の診断・治療、特に子宮体癌のホルモン療法、卵巣癌の化学療法等を専門として現在に至っている。

被告病院は、三名の医師がチームを組んで花子の治療に当たる体制をとることとし、六月から八月までは、西田医師と岡根夏美医師、藤木豊医師が担当し、九月からは、西田医師と小松アカネ医師、佐藤奈加子医師が担当した(なお、西田医師に差し支えあるときは、佐々木純一医師も担当した。)そして、いずれの時期も、各チームの中で最も経験豊富な西田医師が責任者となった。

(二) 花子は、六月ころ少量の不正出血があったので、同月五日に茨城県土浦市内の産婦人科医で受診したところ、細胞診、組織診により子宮頸部腺癌と診断され、被告病院を紹介された。花子は、六月一五日、被告病院で初めて診察を受け、西田医師による子宮膣部細胞診等の結果、その腫瘍が癌であると診断された。西田医師は、花子に対し入院治療及び手術が必要であると判断し、花子は、その勧めに従って、七月七日被告病院産婦人科に入院した。西田医師は、当初花子の腫瘍は子宮頸部腺癌Ⅰb期(子宮筋層二分の一以内の浸潤)と診断したが、子宮体部腺癌の可能性もあったため、同月一六日にCT(コンピュータートモグラフィー)検査及びMRI(核磁気共鳴装置)検査を実施し、同月二〇日夜、これらの検査結果を検討したすえ、術前診断としては子宮体部腺癌Ⅰa期(子宮内膜に限局した癌、明細胞癌の疑いあり)と最終診断した。

(三) 西田医師は、七月二一日、花子に対して手術(術式は準広汎子宮全摘術、両側付属器切除術、骨盤リンパ節郭清術)を施行し、手術は成功した。手術時の肉眼所見では、子宮はやや小さく、黄色で内部の腫瘍を透視できるような部分が子宮底部に認められ、腫瘍が子宮を穿破する直前まで筋層に浸潤していることが窺えた。

(四) その後手術摘出標本の診断が病理医によって行われた。病理医は、花子の腫瘍について明細胞癌の可能性を考えたが、PAS染色(細胞を染色する方法の一種)では小顆粒状に染まるだけであったため、明細胞癌と確診できないとして、明細胞癌を含んだより広い概念として乳頭状腺癌と診断し、その旨を病理組織検査報告書に記載した。また、癌細胞の浸潤は、子宮筋の全層を貫いて漿膜下の子宮傍結合織に達し、子宮頸部やリンパ節にも転移が見られた。また、腹水中にも大量に癌細胞が存在しており、癌の子宮外進展があることが組織学的に判明した。これらの所見により、七月三一日、花子の腫瘍は子宮体癌の手術進行期Ⅲc期(骨盤リンパ節又は傍大動脈リンパ節転移)の進行癌であると診断された。

一方西田医師は、手術前の組織診断では明細胞癌の疑いがあったのに、病理医による組織診断では乳頭状腺癌とされたことに疑問を持ち、自ら花子の腫瘍を光学顕微鏡で検査した。その結果、花子の子宮病巣は、乳頭状の発育などの漿液性腺癌の特徴を備えてはいるものの、細胞質は明るく抜けるようであり、部分的には、核が細胞質から飛び出してみえるhob―nail様(鋲くぎの形状と似ているためこのように呼ばれる)の明細胞癌に特徴的な構造を示していることから、花子の腫瘍は明細胞癌であると診断した。

(五) 花子の癌は、予後不良な明細胞癌であり、しかも手術進行期Ⅲc期で癌細胞が筋層を全部貫き、子宮の外の子宮傍結合織に至り、すでにリンパ節にも転移しており、腹水中にも大量に癌細胞が存在していた。このため、手術で目に見える腫瘍を取り除いたものの、手術後も後療法を行わなければ早期に癌が再発することは必至であり、花子の生命も危険な状態であった。

そこで、西田医師は、花子に対しては後療法を行うこととしたが、前記症状に照らして、局所療法である放射線療法は適当ではなく、また、花子の腫瘍は内膜型腺癌ではなく、組織検査の結果によれば、エストロゲン及びプロゲステロン受容体がいずれも陰性であったため、ホルモン療法も不適応であると考えた。こうして、西田医師は、花子の後療法として化学療法を選択した。ところで、子宮体癌に対する化学療法については、標準的療法が未だ確立されていなかったが、被告病院においては、子宮体癌に対する化学療法として、卵巣癌に対する標準的療法である多剤併用化学療法のうち、前記CAP療法を準用していた。しかし、CAP療法は明細胞癌には有効でないことが知られていた。そして、明細胞癌は、抗癌剤感受性が低く、予後が悪いことから、適切な治療法の確立が望まれているところ、従来の化学療法が奏功しない癌に対して、抗癌剤感受性試験が行われるようになり、これにそった化学療法の有効性が報告されていた。

被告病院は、以前からこの卵巣明細胞癌の治療法の確立を目指して研究を続けてきており、細胞株を用いた卵巣の明細胞癌の薬剤感受性試験で、二三種類の抗癌剤を調査した結果、抗腫瘍性抗生物質として、ウイルムス腫瘍、絨毛上皮腫、破壊性胞状奇胎に対する使用が厚生省により認可されていたアクチノマイシンDが最も有効であるとの結果を得ていた。そこで、西田医師は花子の腫瘍に対する後療法として、アクチノマイシンD及びシスプラチンの二者併用化学療法を行うことを決めた。そして、これらの最も重大な副作用(アクチノマイシンDによる骨髄抑制、シスプラチンによる腎毒性)を勘案した結果、アクチノマイシンD0.5ミリグラムを五日間、シスプラチン二〇ミリグラムを五日間それぞれ投与する方針を決定した。

(六) 化学療法の第一クールは、八月二〇日に開始され、右方針のとおりに抗癌剤二種が投与されて、二四日に終了した。その後、花子には、アクチノマイシンDの副作用として食欲不振、吐気、嘔吐、口内炎等の各症状が見られたほか、骨髄抑制作用による血小板減少、白血球減少が見られた。すなわち、八月二八日(投与開始九日目)には、白血球数八三〇〇、血小板数一一万八〇〇〇と正常値であったのが、八月三一日(投与開始一二日目)に至り、白血球四八〇〇、血小板数一万九〇〇〇となり、血小板数の減少が顕著にみられた。血小板数は、九月一日(投与開始一三日目)に最低値(一万一〇〇〇)となり、同日血小板輸血が行われ、一方白血球数は、九月三日(投与開始一五日目)に最低値(一三〇〇)となった。しかし、血小板数は九月二日には六万一〇〇〇に、白血球数は九月五日には三六〇〇になり、いずれも最低値から一週間以内に順調に回復した。このことから、西田医師は花子の骨髄機能が良好であり、十分な予備能力を持っているものと判断し、第二クールに入ることを決め、血小板、白血球減少を緩和する目的で、念のためアクチノマイシンDの一日当たりの投与量を半減させることとした。なお、血小板数及び白血球数が正常値に回復した花子の状態は良好で、九月一〇日から一四日までは自宅への外泊が行われた。

(七) 化学療法の第二クールは、九月一六日から開始され、シスプラチンは九月一六日から二〇日までの五日間一日当たり二〇ミリグラム、アクチノマイシンDは九月一六日から二五日までの一〇日間一日当たり0.25ミリグラムがそれぞれ投与された。投与開始後一〇日目の九月二五日には、花子の白血球数は五一〇〇、血小板数は三二万八〇〇〇と正常値であったが、二八日の末梢血検査において、白血球数一八〇〇、血小板数一万一〇〇〇と激減した。そこで、西田医師は、花子に対し、白血球数、血小板数の減少を防止するために、九月二八日生血四〇〇ミリリットルの輸血、GCSFの投与、二九日に血小板輸血、GCSFの投与、三〇日に血小板輸血、GCSFの投与をそれぞれ行った。しかし、通常GCSFの投与は白血球数の増加に非常に効果的であり、また、輸血された血小板の寿命は二、三日で短いが、血小板輸血直後には一時的にせよ血小板数が三万位まで増加するものであるにもかかわらず、花子の白血球数は増加せず、血小板数も九月三〇日に一万、一〇月一日に一万四〇〇〇であって、危険とされる五万以下を大きく下回ったままであった。花子は、あらゆる治療に反応しないまま、一〇月一日死亡した。花子の死因は臨床的には血小板減少による消化管出血によるものと診断されたが、原告らの同意が得られず病理解剖が実施されなかったため、これを確定することはできなかった。

二  治療上の過失の有無について

以上認定の事実関係の下において、被告病院の過失の有無について判断する。

1  原告らは、花子の腫瘍は明細胞癌ではなく、しかも投与されたアクチノマイシンDはいまだ実験段階にあって、生死に関わる副作用があり、それが第一クールですでに出現していたから、アクチノマイシンDを投与したこと及び第二クールで投与総量を減量しなかったことには過失がある旨主張し、甲第一号証、証人福島雅典の証言中にはこれにそう部分がある。そして、アクチノマイシンDに骨髄抑制の副作用があることは、前記認定のとおりである。

しかしながら、前記認定によれば、花子の疾患は子宮体部の相当進行した明細胞癌であるものと認められる。原告らは、病理医が手術摘出標本を分析した結果、乳頭状腺癌と診断したことを重視するが、前記認定によれば、右診断結果も花子の腫瘍が明細胞癌であったことを覆すには足りないというべきである。そして、花子は、すでに癌細胞が子宮外のリンパ節、腹水等にも転移している状態にあったのであり、病巣の除去手術に成功したものの、術後放置すれば癌が全身に転移して早晩危険な状態に陥ることが確実であったから、術後の追加治療(後療法)を受けることが必要であったものというべきところ、当時、子宮体部の明細胞癌については、効果的な標準的治療法が確立されていなかった。このような医療の状況の下で、西田医師を含む被告病院の医師らは、明細胞癌に対する感受性試験により、抗腫瘍性抗生物質薬剤として承認されているアクチノマイシンDが有効であるとの結果を得たことに基づいて、花子に対しアクチノマイシンDを投与したものであった。これらの事情に、前記認定のような右薬剤の投与量、投与方法、副作用に対する配慮等を併せ考慮すると、術後の後療法として、花子に対しアクチノマイシンDを投与したことについて、西田医師らに治療上の過誤があったとまで認めることはできず、他に原告らの右主張を認めるに足りる証拠はない。

2  原告らは、第一クールで花子に強い副作用が出たのであるから、第二クールではアクチノマイシンDの投与を控える等の措置を講じるべきであったのに、被告病院はこれを怠ったと主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、花子は、早急に後療法を受けなければならない状況にあったところ、第一クールにおいて、一時血小板、白血球数の減少を来したものの、その後順調に正常値に回復したのであるから、西田医師らが、後療法としての効果に期待して、第二クールにおいてもアクチノマイシンDの投与を行ったことに誤りがあったとはいえない。しかも、前記認定によれば、西田医師らは、第一クールにおける副作用の発生を参考にして、第二クールでは投与総量こそ減量しなかったものの、一日当たりの投与量を半減させる措置をとっているのであって、これらに鑑みれば、第二クールにおけるアクチノマイシンDの投与についても、西田医師らに過失があったとは認められない。

3  原告らは、仮に、花子に対するアクチノマイシンDの投与がやむをえないものであったとしても、骨髄抑制作用等の副作用に対する適切な処置をとらなかった注意義務違反があると主張し、第一クールの投与一二日目に血小板数が一万九〇〇〇にまで減少したことが分かっているのであるから、第二クールでは投与一一日目、一二日目に相当する九月二六日、二七日に血液検査を行い、また減少がみられた九月二八日に直ちに血小板輸血を行い、中心静脈栄養補給等の措置をとるべきであった旨指摘する。

しかし、前記認定のとおり、第二クールでの投与一〇日目である九月二五日の血小板数は三二万八〇〇〇と正常であったこと、第一クールでは投与一三日目に血小板数が最低になっており、その時点で直ちに血小板輸血をして順調に回復していること、第二クールにおけるアクチノマイシンDの一日当たりの投与量は第一クールの半分であることなどに鑑みると、西田医師らが、第二クールでの投与一一日目、一二日目に当たる九月二六、二七日に血液検査をしなかったことにつき、過失といえるほどの落度があったとまではいえない。そして、西田医師らは、九月二八日の血液検査の結果、白血球数、血小板数が減少したことを知るや、直ちに、血小板輸血と同等の効果を有する生血四〇〇ミリリットルの輸血をし、九月二九日と三〇日にそれぞれ血小板輸血等を行っているから、骨髄抑制作用等の副作用に対する処置を怠ったとはいえない。したがって、原告らの前記主張は採用できない。

三  説明義務違反について

1  証拠(甲二二(一部)、乙一の一、乙八、二二、証人西田正人、原告甲野次郎本人(一部))及び弁論の全趣旨によれば、被告病院が花子及び家族に対し花子の治療について説明した経緯等は、次のとおりであることが認められる。

(一) 西田医師は、七月二〇日、手術に先立って花子と原告次郎及びその妻に対し、前記花子の診察結果に基づいて診断内容の説明を行った。その要旨は、花子の子宮の腫瘍は、癌にまちがいがなく、その進行期はⅠ期からⅣ期まであるうちのⅠ期であり、九割方治ると考えてよいが、子宮の筋肉に二分の一以上癌が食い込んでいたりすると、手術後も、放射線や化学療法を追加しなくてはならない、手術後の病理の結果が出ないと何とも言えない、というものであった。そして、手術直後、西田医師は、原告次郎及びその妻に対し、手術時の肉眼所見から判断したことについて、概要として、子宮の入り口ではなく奥の方にできた腺癌であったので一回り小さい手術で済んだ、他へ広がっているとは見えなかったが、顕微鏡の検査に出し、進行している場合やリンパ節転移陽性であれば、手術だけでなく化学療法が必要となるだろう、などと説明した。

(二) 佐々木純一医師は、夏期休暇に入った西田医師の代わりとして、八月一三日、花子、原告次郎及びその妻に対して化学療法の説明をした。その要旨は、「子宮の筋肉に悪いものが少し食い込んでおり、目に見えないものが残っているので、抗癌剤を使って治療をする。癌の種類によって治療法が異なるが、花子の場合は、放射線治療よりも抗癌剤を使用して治療した方がより効果がある。この投薬治療は、概ね、一か月に一回の割合で五日間抗癌剤を投与し、これを五回行うものであり、合計で約半年間の長い期間を必要とするが、五年ないし十年先を考えると、実施しておいた方が安全であり、また、必要な治療である。薬剤は点滴で注入するが、一回五日間投薬すると、食欲が減退し、髪の毛が抜け、口の中が荒れるなどの副作用が出て、白血球や血小板の低下が生じるので、それが回復してから次の投薬を行う。」などというものであった。なお、佐々木医師は、非専門家には分かりづらいことを考慮して、使用薬剤の個々の名前を挙げなかったし、また、花子本人の面前では、できるだけ当人を心配させないよう配慮し、不安を和らげるように説明した。

(三) 佐々木医師は、前回の説明では同席していた花子本人に配慮して十分な説明ができなかったため、第一クールに入って二日目の八月二一日、原告次郎に対し、再度、治療法などの説明を行った。その概要は、「前回は花子本人と一緒だったので真実を言えなかったが、花子の癌は、リンパ節に転移しており、子宮のほとんど表面に癌が出るくらいに食い込んでいる。悪い部分は摘出したが、初期の癌とは言えない結果であった。抗癌剤の副作用として生じる骨髄抑制は強く出る場合とそうでない場合があり、実際に施行してみないと分からないが、白血球、血小板の貧血が強く出るタイプだと、一時期、治療開始後二週間目位に、感染症等かなり体の具合が悪くなることがある。しかし、右のような花子の癌の広がりから考えて、必ず必要な治療である。」などというものであった。

(四) 主治医らは、第二クール開始時には、第一クールと使用薬剤の変更等がなかったため、改めて説明する場を設けなかったが、朝夕の回診の際、花子及び家族に対し、質問に応答するなどの方法により、説明をした。

2  原告らは、被告病院は花子らに対し、投与される薬剤についての効用及び副作用について十分説明すべき義務があるにもかかわらず、アクチノマイシンDの効用及び副作用について説明をしていない旨主張し、甲第二二号証(原告次郎の陳述書)及び原告次郎本人の供述にはこれにそう部分がある。

しかしながら、前記認定事実によれば、なるほどアクチノマイシンDは、当時明細胞癌に対する抗癌剤として一般的に使用されていたとはいえないものの、当時の花子の症状は早晩癌が全身に転移する状況にあり、一刻も早く後療法を行う必要があり、当時、明細胞癌に対する標準的な治療法が確立されていない状況の中で、被告病院は、アクチノマイシンDが明細胞癌に効果があるとの研究成果を得ていたため、副作用があるもののこれを投与することとし、花子及びその家族に対し、その旨の説明を行っていること、具体的には、第一クール開始前後に、花子の癌の進行程度、摘出手術後の追加治療として抗癌剤投与による化学療法が有効かつ必要であること、この抗癌剤を投与すると、副作用として骨髄抑制が起こり、白血球、血小板の減少、食欲不振、脱毛、口内炎等を生ずることなどを分かりやすく説明し、第二クール開始前後には、朝夕の回診の際に花子及び家族の質問に答えて説明していることが認められる。これらに照らすと、原告らの右主張にそう供述部分等はたやすく信用できず、他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。

なお、右原告次郎本人の供述等によれば、花子らは、西田医師らの説明によっても、その副作用が深刻なものであると受け取らなかったため、現実に生じた副作用を目前にして、医師の説明が不十分であるとの不満を抱いたことが窺われるが、患者及びその家族の不安などに配慮してできるだけ副作用による影響を控え目に説明したとしても、あながち、説明義務違反の過失があるとまでいうことはできない。

また、原告らは、アクチノマイシンDの投与が一般的でないこと、ホルモン療法、CAP療法等他の療法があることなどについても説明すべきであったと主張する。

しかしながら、前記のとおり、花子の病状は、広範囲への転移が考えられる状態であったから、後療法が必要であったところ、放射線治療やホルモン療法は相当でなく、化学療法をとる他なかったところ、当時、明細胞癌に対する標準的な化学療法が確立しておらず、CAP療法も有効でなかったため、主治医らは、被告病院で研究成果を上げていたアクチノマイシンD及びシスプラチンを投与することが最も有効であり、副作用等についても十分に対処できるものと自信を抱いていたことが認められる。このような場合、主治医として、患者に対し、確立された標準的な治療法がないことや、有効でない他の療法があることを説明すべき義務があると解することはできないし、また、主治医らにそのような説明を期待することも困難である。かえって、その説明は、患者やその家族に無用の混乱と不安を抱かせ、治療行為の実行を遅らせる結果となるおそれすらないとはいえない。

3  さらに、原告らは、第二クール実施時において、第一クールでの副作用発生を踏まえ、改めて副作用発現の可能性及び薬剤の有効性について説明すべきであるのに、これを怠った説明義務違反がある旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、主治医らは、第一クール開始前後に抗癌剤による副作用等についての説明を行っているところ、第一クールでは相当の副作用が発生したものの、血小板輸血等により身体に重大な影響を与えるまでに至らず短期間で順調に回復しており、副作用の程度は予測の範囲内であったうえ、第二クールにおいてはアクチノマイシンDの一日当たりの投与量を半分に減少させているのであるから、このような状況の下において、主治医が、第二クール実施時に、改めて、副作用発現の可能性等についての説明を行うべき義務があると認めることはできない。

四  結語

以上のとおりであり、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官市川賴明 裁判官田中敦 裁判官田中孝一)

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